ドイツの歴史について紹介します。

ドイツ旅行へ行く前に、まずはドイツの歴史についてきちんと学んでおきましょう。ドイツの歴史 や文化を事前にしっかりと勉強しておくことで、ドイツ旅行は一層楽しく、そして有意義なものにな ること間違いなしです。では、早速ドイツの歴史について学習しましょう!
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約 70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の 地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約35000年前から現れ、紀元前4000年頃 の巨石文明を経て紀元前1800年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前1000年頃にはケルト系民 族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。
紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経てゲルマン人は傭 兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで行き、紀元後375年には西ゴート族の移動を初めとする大移動 によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族を北方に追いやったゲ ルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843年のヴェルダン条約によって三分割 されたうちの1つである東フランク王国が現在のドイツの原型となった。
東フランク王国の国王オットー1世は962年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、 いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国 家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立した歴史は現在に続く連邦主義の 基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに 争ったため三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600万人いたドイツの人口 が戦火によって600万人に減少したと言われる。
北部の領邦君主ホーエンツォレルン家は17世紀半ばから勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国 を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、19世紀前 半にはプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。1806年まで神聖ローマ皇帝位を世襲し ていた「大ドイツ主義」派のオーストリアのハプスブルク家は、「小ドイツ主義」派のホーエンツォ レルン家とドイツ統一の役割を争ったが、1871年、プロイセン国王ヴィルヘルム1世の戴冠によってド イツは、ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国(ドイツ帝国)として統一され、 ベルリンを首都とした。
1918年、第一次世界大戦の敗北によってドイツは共和制に移行したが、ヴァイマル共和政は小党乱 立により政局は不安定で、驚異的なインフレなど経て1931年には、アドルフ・ヒトラーの指導下で極 右的民族主義やユダヤ人の排斥、再軍備を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)が選挙で 国民からの支持を受け1933年に政権を握ると、ナチス・ドイツとなり、軍事力の増強や周辺諸国の併 合などを行った。1939年9月に緊張関係にあった隣国ポーランドを攻略し、第二次世界大戦が始まった 。
1945年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジ ェン地域を領土として完全に喪失。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国 に分割占領され、1949年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東 部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。冷戦の時代を通じて東 西ドイツは資本主義と共産主義が対立する最前線となったが、1989年ソビエト連邦のペレストロイカ に端を発した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌1990年、再統 一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・イ ンフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順次進められ 、2001年5月2日にベルリンへの首都機能移転が完了した。
ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東 西の経済格差がそれまでの順調な成長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国 に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあるが、反対に米ソによってドイツが冷戦後の強国 の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核 国として発言力を増し続けている。